鶴が池
ここは遠州 磐田の鶴が池です。
現在、この地で鶴を見ることはありませんが、冬になれば
渡り鴨が大勢やってきて池一面を賑わします。
池と言っても山々に囲まれた広大な湿地と水面が
幻想的な空間をかもしだしています。

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この池が鶴が池と呼ばれるようになったいわれですが
1195年の10月のこと。
鎌倉に幕府をつくった源頼朝は、京都へ上ぼる途中で
この土地で兄の朝長の墓を供養したと場所と伝えられています。
源朝長は源氏が平治の乱で平清盛に敗れ、
父や兄弟とともに東国へ落ちる途中で落ち武者狩りに遭い死くなった人です。
供養のための放生会では黄金の札をつけた数多くの鶴が放たれましたそうです。
以来、この池を鶴ヶ池と呼ぶようになったということです。